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Amazonで泣ける小説を探すある女性から頂いたエピソードです。これ、実話です。
私が高校の教師をしていた頃の話です。
「小ヒトラー」と陰口を叩かれる人物が校長に赴任してきて地獄が始まりました。
その校長は「私には年次有給休暇の取得日を変更できないか確認する権利がある」と言いました。そして、子どもの運動会に休みを取ろうとした教員が休めませんでした。保育園児を持つ教員が子どもの病気で有給休暇を申請したときも、変更要請されて「無理です!」と答え、後日校長室で説諭つまり説教をされました。定年近い教員が「お先に失礼します。」と帰宅しようとしたら「態度が悪い!」と怒鳴りつけました。明らかにパワハラです。
しかしその校長は教職員組合の上層部とコネがあり、組合は動いてくれません。また、教育委員会の忠実な僕で、そちらも取り合ってくれません。校長は、力の強い教員や声の大きな教員は褒めて味方にしていました。ターゲットは弱い立場の者ばかりです。
そんな中で事故が起きました。
生徒がふざけて投げたソフトボールが私の頭を直撃し、網膜剥離を起こしたのです。そのときに私と生徒との間で言い争いがありました。私が手術のために入院していると、校長からの連絡を教頭が持ってきました。
「生徒を注意した時の言動が甚だ粗雑で口汚く教師とは思えない態度だったと生徒の保護者から苦情が来ている。出勤できるようになったらまず校長室で校長の目の前で生徒と保護者に謝罪するように」
頭が真っ白になって次に呼吸ができなくなりました。
過呼吸です。その後頻繁に過呼吸を起こすようになり、目の手術から退院しても自宅から出られなくなりました。そして、右手が麻痺して動かなくなりました。整形外科で原因がわからず、精神科受診を勧められました。
精神科では、極度のストレスによる反応だと言われ、夫と校長代理の教頭が休業の理由として病状説明を受けました。
主治医は夫と教頭に「パワハラによる重度のうつ病」と告げたそうです。
しかし、校長はそれをどうやったのかもみ消しました。裁判にしたら、というアドバイスは知人から受けましたが、幼い息子を抱えて私は病気で、そんな気力は私にも夫にもありませんでした。それに校長は必ずまず同僚に責任をなすりつけるだろうとわかっていました。組合も教育委員会もあてになりません。泣き寝入りでした。
夫は毎日起きると小学一年生の息子の朝ご飯。自分の身支度。出勤。残業を断るのに夫は私の病気を言えませんでした。職場での立場がどんどん悪くなる中で買い物をして夕食を作り子どもを寝かしつけます。夜洗濯をして部屋干し。皿洗い。私は部屋の隅にいます。
夫はどんどん追い込まれていきました。
「頼む、入院してくれ」
何度も夫に言われましたが、私は他の場所に行くのが怖かったから
「いや」
と首を振っていました。
昼間、家族が出てからはひとりです。最低限の排泄。食事は目についたジャンクフード。
そしてある日、
(私は生きているのだろうか)
(棺桶に入ったらわかるだろうか)
(どこに棺桶があるだろう)
そんな考えが頭の中をぐるぐる回り家の中をよろよろさまよって
風呂場の空の風呂桶に体を収めました。
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どれくらい時間が経ったでしょう。
「なにをしているんだ!」
見ると、帰宅した夫でした。
「もう嫌だ、もう我慢できない、死にたきゃ死ね!」
夫は叫んでシャワーで私の体に水を浴びせかけました。
冷たい。いや、冷たいのは水?私?私は死んでいるの?
「やめて、おとうさん、やめて」
息子が夫にすがりついています。なにもかもが遠い出来事のように思えました。
その後のことが記憶にありません。
その翌日も私は部屋の隅にいました。
ある考えがぐるぐる頭の中を巡っていました。玄関で「ただいま」と息子が帰ってきた音がしました。
(ここには私の居場所はない)
(私はここから出なければ)
ぼんやりとした頭で私はそう考えふらふらしながら立ち上がりました。玄関の息子に
「おかえり」
と言うと、そのまま外へ私は出ました。
電車の音がする。電車はどこだろう。私は踏切までの道を知りません。でも、線路は北の方だったはず。北へ、北へ行かなければ。
そのとき、
「おかあさん」
私のうしろを三歩ほど離れたところに、息子がいました。それでも私はまた北を向いて歩きました。すると付いてくる気配があります。
私はゆっくり振り向いて言いました。
「おうちに帰りなさい」
私がそう息子に言うと息子はまっすぐ私の目を見ました。そして言いました。
「でもおかあさん、僕が帰ったら死んじゃうんでしょ?」
そうか、私は死ぬのか。なんの感情も起きません。息子はそっと近づいてきて私の左手を握りました。だんだん強く握りしめました。
ふと見ると電線に鳥が止まっています。
私はつぶやきました。
「鳥がいるねぇ」
私は鳥の名前を知りません。ただ、その鳥はくちばしに何かをくわえていました。巣の材料でしょうか。雛への餌でしょうか。鳥は親が餌を運ばなければ、飛べない雛は死んでしまいます。
私の手をぎゅっと握る温かい小さな手。
(温かい)
頭のもやの中に灯火がついたように、またひとつの思いが浮かんできました。
(私が死んだらこの子はどうなるのだろう)
かわいい子。素直ないい子。優しい子。何の罪もない子。
この子に『母親の死』という重荷を背負わせる。どんなにつらいだろう。
私の死は私ひとりのものじゃないんだ。
そう思ったら心の奥からある気持ちが浮かんできました。
(生きなければ)
幼い息子を見ると、息子はじっと私を見ています。鳥ではなく、私を見ています。
「おうちに帰ろうか」
私がそう言うと息子は
「おかあさん、もう死なない?」
と、まばたきもせず言いました。
「もう死なないよ」
私は息子の手をしっかり握り返したのでした。
学校には退職届を送りつけ、私物は廃棄してもらい、教師を辞めました。
少しずつ回復に向かっています。
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